復興支援映画 岡倉天心をテーマとした映画「天心」

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平成28年9月17日(土) 寺崎廣業生誕150年記念/秋田市立千秋美術館上映報告

平成28年9月17日、秋田が産んだ天才日本画家・寺崎廣業の生誕150年を記念した展覧会を開催中の秋田市立千秋美術館講堂において、映画「天心」初の東北上映会を行いました。
美術館の開場と同時に、大勢のお客様が上映会場に駆けつけていただきました。
今回は、天心と廣業を回顧しようと千秋美術館・松尾ゆか学芸員と秋田公立美術大学・山本太郎准教授、そして星加正紀プロデューサーの3人よるトークショーも開催。
廣業は幕末の久保田藩(秋田藩)士の家に生まれましたが、幼児から絵を好みすぐれていたというが貧しく、ほぼ独学で画業を成していきます。
実は岡倉天心は廣業の3歳上、そして後に画業の友となる横山大観は2歳下、同じく同志の菱田春草も8歳違いという、ほぼ10年と違わない年代の真っ只中で活躍したのです。
その廣業は、若くして川端玉章らと日本青年絵画協会を設立し、東京美術学校設立間もない校長の天心を協会の会頭に迎い入れます。
天心は、東京美術学校で大観や春草らを芸術のエリートとして育成する一方で、在野で活躍している廣業ら青年画家と組み、お互いに切磋琢磨させようとしたのだと言われています。
そして、才能を認められた廣業は東京美術学校助教授に就任しますが、その直後に天心排斥運動が勃発。
廣業は同僚の大観と共に懲戒免職という極めて重い処分となり、美術学校を去ります。
天心が興した谷中の日本美術院に参加した廣業は、秋田・大曲・横手に地方院展を開催、故郷に錦を飾るのです。
大観や春草らとは終生の友であり、また画業のライバルであり続けましたが、大正8年に54歳で病没します。
天心の死後から6年という、明治を駆け抜けた天才画家でした。
秋田の誇りである寺崎廣業と、「天心」とのコラボレーションを沢山のお客様も堪能されたと思います。
秋田のみなさん、本当にありがとうございました!!

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