私 はこれまで、岡倉天心を“生臭い”人物だと思ってきた。
だが、教科書に載る歴史上の偉人としての天心は、多くの人にとって“生臭い”とは 思われてこなかった。
この映画は、そんなギャップを埋めるために大きな役割を果たすと思う。
アカデミズムの頂点に立つ人物がスキャンダルにまみれ、都落ちし、海外に活路を求める。
しかし、そんな天心も、没後の神格化によってその実像がぼやけてしまった。
だから、天心生誕150年、没後100年のいまに至っても、日本画、院展、大観といった決まり文句の権威がはびこる。
天心も大観も春草も観山も、必死だった。少なくとも若いころは。
だが、大観が天心という御輿を担ぎ、大観に続く凡庸な画家たちがさらに大観という御輿を担いで、日本画は実質的に滅びてしまった。
いま、“生臭い”天 心の姿を直視することによって、ようやく日本画の、日本美術史の再生がはじまるのだと思う。
この映画を観て、そんなことを考えさせられた。
美術評論家 山下裕二(明治学院大学教授)