7月17日 和歌山市民会館上映会報告

下村観山の故郷和歌山市において、ついに「天心」が上映されました。
観山は、明治6年(1873年)4月10日に紀州藩士下村豊次郎の三男として和歌山市小松原通5丁目で生れます(和歌山市サイトでは同市中ノ店南ノ丁30番地となっていますが、本サイトでは横浜美術館編集・発行『生誕140年記念 下村観山展』図録からの年譜参照で統一します)。
父・豊次郎は、紀州徳川家幸流小鼓方の能楽師、母・寿々も幸清流小鼓方の家の娘だったそうです。
観山は号で、本名を晴三郎といい、明治14年に一家で東京に出て、狩野芳崖と橋本雅邦に師事し日本画を学んでいる所をフェノロサから見出されます。
同22年には、開校した東京美術学校(現:東京藝術大学)に大観らと一期生として入学し、天心の下でさらなる研鑽に努める姿は映画の中でも描かれている通りです。
江戸幕府が続いていれば、おそらく晴三郎も父を継いで和歌山の一能楽師として歩んでいたことでしょう、しかし維新後の能楽衰退が彼の運命を変えたことは間違いありません。
ところが、あの芳崖やフェノロサをもってして「天才」と呼ばしめた晴三郎少年の画力がいかに並大抵でなかったことからも、才能と言うのは一体何処に潜んでいるのか分からないものですし、それが人生なのでしょう。
幼くして和歌山を出たこともあってか、市の偉人・先人として顕彰されたのは平成23年になってからです。
「忘れ去られた」ふるさとの先人をしっかり評価しようと、和歌山市長はじめ多くの市民が「天心」上映実行委員会を立ち上げていただき、この度の上映会が実現できました。
この日、舞台挨拶に立たれた実行委員長の清水達三先生は、同郷の観山にあこがれて日本画の道に入り、日本美術院同人となります。
付き添われたご子息の清水由朗先生も、同じく日本画を志し日本美術院同人と言う、まさに天心と観山の系譜に連なる縁深い方々が上映に携わっていたのです。
お陰様で、多くの和歌山の高校生や市民に観ていただくことができ、和歌山が生んだ下村観山の素晴らしさをもっと知って貰うきっかけになったのではないかと思います。
和歌山の皆様、本当にありがとうございました!

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