「第7回鯉のぼりプロジェクト―みんな来い・恋・鯉三昧」

4月29日、 取手市岡堰の小貝川堤防などを会場に堤防などに計約100匹の鯉のぼりが泳ぐ「鯉のぼりプロジェクト」が開かれました。
プロジェクトの実行委員長は、「天心」映画実行委員会のメンバーでもある彫刻家の島田忠幸先生です。
これは「地域の子どもたちに、小貝川や利根川などに囲まれている取手を知ってもらい、川に親しむきっかけにしてもらおうと、自宅に眠っている鯉のぼりを集めて毎年開催している」(常陽新聞)という素晴らしいイベント。
お馴染みの川又南岳先生揮毫の映画「天心」ノボリも鯉のぼりたちと一緒になって、気持ちよく五月の空にはためいています。


5月5日まで開催。 期間中の3日午後6時から、 キャンドルイベント 「鯉あかり」 や野外映画上映会などが催され、映画「天心」の予告編も上映予定です。
どうぞ、皆様お立ち寄り下さい!

4月27日(金) 番組の予想外の反響が!

 24からこの3日間、またまた水戸へ。23日のNHK放映の反響が予想以上に大きく、放映直後に、さっそく協賛申込みが相次ぎました。本当に感謝、深謝です!
映画関係の友人からも数々応援メールが!中には撮影協力のギャラを不要と言ってくれた映画ライターの永田さん、励ましの一献を約してくれた元名画座の名物支配人の小野さんなど、感謝しきり・・・
 自分は今まで、ドキュメンタリー番組で数えきれないほど多くの人の取材をしてきましたが、自分をここまで密着取材されたのは初めて。正直、不安と恥ずかしさいっぱいで、客観的に観られないが、おおむね好評で一安心。
次回はぜひ、ETVの映画「天心」特集番組を!

4月18日(水) いよいよクランクイン?!

 ついに「天心」クランクイン!と言いたい所ですが、この日は北茨城の六角堂の実景を先行撮影。前日に完成したばかりで竣工式を迎えた六角堂。その翌日にロケを敢行しました。ただし、実景だけではなく、下記のように大工姿の男衆が!一体、なぜ?!

 実は、今回の六角堂の再建に併せ、創建当時に天心が見たであろうシーンとして完成直後の姿を撮影したのです。津波によって消失したものの、管理する茨城大学さんのプロジェクトで見事に再建された六角堂。昭和にかなり改修されていた建物を、創建当時の明治のころに復興したのです。

 約100年後に訪れた、奇跡的な偶然。そこで、私たちもこの偶然をキャメラに収めたい・・・と撮影を決行。これも偶然か、明治38年のちょうど同じ春に建築された六角堂。時を約100年前にさかのぼらせて、平潟の船大工さんたちに登場してもらったのです。ちなみに、演じてくれたのは特命教授の三輪先生はじめ茨城大学六角堂復興プロジェクトのみなさん。

 プロデューサーと私でキャスティング。皆、明治男の凛々しさ、溌剌さをもった面々で、ナチュラルに熱演してくれました。「地元の人は天心を東京の偉い先生と敬いながらも怖れていた。美術院には近寄りがたかったという地元の人の証言もある。天心が現場を見ている設定なので、和気藹々の楽しい雰囲気ではなく、緊張気味の真面目な表情でやってもらいたい」と私が指導。

 さらにこの日は、現場を指揮する松井リフォームの佐藤監督と小林造園の小林社長、それに建築担当の日本木工染谷社長が全面協力。染谷社長は年代ものの貴重な半纏を用意してくれたばかりか、撮影のために作業も中断。小林社長は、見学コースの柵を抜き、近辺の木々の剪定もしてくれ、大工衣装の着方、鉢巻の絞め方、道具箱の持ち方なども指導。
 近くの五浦観光ホテルさんは撮影用に部屋を提供してくれるなど、地元の熱気あふれる応援が本当に嬉しかった・・・天気も素晴らしく、宝珠が生き生きと輝き、まさに完成間近の六角堂が出現したような映像が撮れました。

 当日は「波山」の撮影、芦澤明子さんと、美術の池谷仙克さんも立ち会い現場はスムーズ。私は池谷さんとは初仕事。鈴木清順、寺山修司、実相寺昭雄、篠田正浩ら、錚々たる監督たちの名作を手掛けられた巨匠。しかし、大変和やかで、的確かつ、臨機応変に、六角堂の扉や道具箱などの細工をあっという間にこなす職人技。
 この初日で、相当な手ごたえを感じた。これは絶対、実現しなければならない!言葉だけでなく、必ずや・・・・

 
 なお、この様子をNHK水戸の放送局が取材してくれました。半月前ぐらいから、私や現場を密着取材。嬉しいことに最初は水戸放送局の予定が、NHK総合の関東エリアで放映してくれることに・・・
 緊急告知にもあるように、4月23日(月)の夕方6:00~7:00の「首都圏ネットワーク」という番組で6、7分の特集コーナーで紹介されるそうです。ぜひ見てください!

緊急告知!!

23日(月)18:00~NHK総合「首都圏ネットワーク」で、映画「天心」実現に向けて奔走する松村監督を追跡したルポが放映される予定です。ご覧いただければ幸いです。

尚、他のニュースが入った場合は、放送日時が変更となりますことを予めご理解ください。

映画「天心」実現めざして! 苦闘・奮闘!監督日記  4月5日(木)

この日は常総市役所、坂東市役所と県西を回りました。いずれも市長が会ってくれ、大変丁重に対応いただき光栄の限り。何と、坂東市の吉原市長より「100口の協賛」をいただきました!

県内の市町村では初めてCMを製作していただけることに。市のイベントや名所、特産品などを紹介する内容で、案内役も同市出身の注目株!若手女優を起用します。完成すれば、本映画HPでも、市のHPでも配信予定ですので、乞うご期待ください!それにしても、数々の市町村を回り、ようやく実現したCM。吉原市長は映画や演劇、イベントなど文化的な事業で町おこしをして  行こうとされる、大変有難い方。それは常総市の女性市長、長谷川市長も同じで、本当に心から感謝申し上げます。

「うどん県」の次は、茨城を「映画県」にしたい!下記画像の前Pこと前山プロデューサーと夢は実現に向けて広がります。

 

 

 

 

 

(真ん中:吉原市長 左:前P)

 

なお、この日の様子をNHK水戸放送局が取材してくれました。6~7分の特集で紹介してくれるそうで、水戸での放送だと思ったら、夕方6時から放映のNHK総合「首都圏ネットワーク」で放映してくれるそうです!放映日は今月下旬を予定で、確定したら、大々的に(笑)本HPで発表します。

僕自身はさんざんドキュメンタリーなどの番組で、いろんな人を紹介してきたが、自分自身を特集で紹介してくれるのは実は初めて。恥ずかしさと戸惑いもあるけど、そんな感情はもはやどうでもいい。「天心」を広く告知できるのなら僕で良ければ、何でもするつもり・・・

かすみがうらマラソンに天心ブース!

 4月15日、第22回かすみがうらマラソン兼国際盲人マラソンかすみがうら大会が土浦、かすみがうら両市内の霞ケ浦湖畔日本陸連公認コースであり、埼玉県庁の公務員ランナー・川内優輝さんら過去最高の2万1815人が参加しました。
 映画「天心」も専用ブースを設置していただき、缶バッジ販売や映画の宣伝でボランティアスタッフの方々に大いに助けられました。
 昨年の第21回大会は東日本大震災の影響で中止。開催は2年ぶりですが、復興の光になったのではないかと思います。

 

年表  ~茨城県天心記念五浦美術館HPより~

(満年齢)    
1863 文久2 0歳   横浜に生まれる
1869 明治2 6歳   このころ英語を学ぶ
1875 明治8 12歳   東京開成学校(のち東京大学と改称)に入学する
1879 明治12 16歳   大岡もと(のち基子と称す)と結婚する
1880 明治13 17歳   東京大学を卒業し、文部省に勤務する
1886 明治19 23歳   欧米の美術視察にアーネスト・フェノロサらと共に出張する
1889 明治22 26歳   東京美術学校が開校し、翌年校長となる
1893 明治26 30歳   美術調査で初めて中国を旅行する
1898 明治31 35歳   東京美術学校校長の職を退き日本美術院を創立する
1901 明治34 38歳   インドに渡り、翌年にかけて仏跡を巡る
1902 明治35 39歳   インドの詩人タゴールと交流を深める
1903 明治36 40歳   『The Ideals of the East(東洋の理想)』ロンドンで出版する
五浦に土地と家屋を求める
1904 明治37 41歳   アメリカのボストン美術館中国・日本美術部に入る
『The Awakening of Japan(日本の覚醒)』をニューヨークで出版する
1905 明治38 42歳   五浦の別荘を新築し、六角堂を建てる
1906 明治39 43歳   日本美術院第一部(絵画)の五浦移転に伴い、大観、観山、春草、武山が同地に移り住む
『The Book of Tea (茶の本)』をニューヨークで出版する
1907 明治40 44歳   仲秋観月の園遊会を五浦で開く
1910 明治43 47歳   ボストン美術館中国・日本美術部長になる
1912 明治45 49歳   ボストン美術館の用務でアメリカへ渡る途中、インドに立寄り、女流詩人プリヤンバダ・デーヴィー・バネルジーと出会う
1913 大正2 50歳   オペラ台本『The White Fox(白狐)』を執筆後、病気のため帰国する
古社寺保存会に出席し、法隆寺金堂壁画の保存について建議案を作成する
療養のため新潟県の赤倉に移るが病状が悪化し、没する
1914 大正3     日本美術院が再興される

岡倉 天心 ~茨城県天心記念五浦美術館HPより~

岡倉天心(1863-1913)は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動家として近代日本美術の発展に大きな功績を残しました。その活動には、日本画改革運動や古美術品の保存、東京美術学校の創立、ボストン美術館中国・日本美術部長就任など、目を見張るものがあります。また、天心は自筆の英文著作『The Book of Tea(茶の本)』などを通して、東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介するなど、国際的な視野に立って活動しました。
  また、天心は晩年、思索と静養の場として太平洋に臨む人里離れた茨城県五浦(現在の北茨城市五浦)に居を構える一方、横山大観ら五浦の作家達を指導し新しい日本画の創造をめざしました。以後、天心は亡くなるまでこの五浦を本拠地として生活することになります。

■生い立ちと修業時代

 岡倉天心、本名岡倉覚三(かくぞう)は江戸幕末の文久2年(1863)、元越前福井藩士で生糸の輸出を生業とする石川屋、岡倉勘右衛門(かんえもん)の次男として横浜に生まれました。文明開化という時代、海外に開かれた開港地横浜で、天心はジェイムズ・バラの塾等で英語を学ぶなど、後年の国際的な活躍の素地が磨かれていきました。
 明治8年(1875)、東京開成学校に入学し、同10年(1877)には同校が東京大学と改称されるに伴い文学部に籍を移し、お雇い外国人教師アーネスト・フェノロサ(1853-1908)に政治学、理財学(経済学)を学びます。
 天心は、日本美術に傾倒したフェノロサの通訳として、行動を共にするようになり古美術への関心を深めます。

■美術行政への参画と古美術の調査

 明治13年(1880)東京大学を卒業した天心は、文部省へ就職し草創期の美術行政に携わることになります。同16年(1883)頃から文部少輔九鬼隆一(くきりゅういち)に従い本格的に全国の古社寺調査を行った天心は、日本美術の優秀性を認識すると共に、伝統的日本美術を守っていこうとする眼が開かれていきます。  同19年(1886)フェノロサとともに美術取調委員として欧米各国の美術教育情勢を視察するために出張しました。帰国後の天心は、図画取調掛委員として東京美術学校(現在の東京芸術大学)の開校準備に奔走します。開校後の同23年(1890)、わずか27歳の若さで同校二代目の校長になった天心は、近代国家にふさわしい新しい絵画の創造をめざし、横山大観、下村観山、菱田春草ら気鋭の作家を育てていきました。

■理想の実現に向けて  日本美術院の創立

 急進的な日本画改革を進めようとする天心の姿勢は、伝統絵画に固執する人々から激しい反発を受けることになります。特に学校内部の確執に端を発した、いわゆる東京美術学校騒動により、明治31年(1898)校長の職を退いた天心は、その半年後彼に付き従った橋本雅邦(がほう)をはじめとする26名の同志とともに日本美術院を創設しました。
 その院舎はアメリカ人ビゲローなどから資金援助を得て、東京上野谷中初音(やなかはつね)町に建設され、美術の研究、制作、展覧会などを行う研究機関として活動を始めました。
 横山大観、下村観山、菱田春草らの美術院の青年作家たちは、天心の理想を受け継ぎ、広く世界に目を向けながら、それまでの日本の伝統絵画に西洋画の長所を取り入れた新しい日本画の創造を目指したのです。その創立展には、大観「屈原(くつげん)」、観山「闍維(じゃい)」、春草「武蔵野(むさしの)」などの話題作が出品されました。

■東洋の美と心を世界に 国際人「KAKUZO」

 天心の指導を受けた大観や春草ら日本美術院の作家達は、大胆な没線(もっせん)描法を推し進めましたが、その作品は「朦朧体(もうろうたい)」「化物絵」などと激しい非難を浴び、次第に世間には受け入れられなくなりました。こうした中で、院の経営は行き詰まりをみせ、天心の目は次第に海外へと向けられていきます。
 明治34年(1901)、インドに渡った天心はヒンズー教の僧スワミ・ヴィヴェカーナンダ(1863-1902)を訪ね、東洋宗教会議について話し合いますが実現には至らず、彼の紹介で出会った詩人ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)やその一族と親交を深めました。また、インド各地の仏教遺跡などを巡り、東洋文化の源流を自ら確かめた天心は、滞在中に『The Ideals of the East(東洋の理想)』を書き上げています。
 同37年(1904)、アメリカに渡った天心は、ボストン美術館の中国・日本美術部に迎えられ、東洋美術品の整理や目録作成を行い、また、ボストン社交界のクイーンと呼ばれた、大富豪イザベラ・ガードナー夫人と親交を深めることになります。一方天心に従って渡航した横山大観、菱田春草らは、ニューヨークをはじめ各地で展覧会を開き好評を博しました。また、天心は講演会や英文の著作「The Book of Tea(茶の本)」などを通して日本や東洋の文化を欧米に紹介しました。その後、天心は五浦とボストンを往復する生活を送ることになりました。

■新たなる飛躍の地「五浦」

 明治36年(1903)茨城県北茨城出身の日本画家飛田周山の案内により五浦を訪れた天心は、太平洋に臨む人里離れた景勝地を気に入り、土地と家屋を買い求めました。同38年六角堂と邸宅を新築、拡張するなど、以後五浦を本拠地とします。
 一方、日本美術院は、天心や横山大観など主要作家の海外旅行による長期不在が重なるなどにより経営難に陥り、その活動も衰退したため、同39年(1906)、天心は日本美術院の再建を図りました。それまでの美術院を改組し、その第一部(絵画)を五浦に移転しました。天心はここを「東洋のバルビゾン」と称して新しい日本画の創造をめざし、横山大観下村観山菱田春草木村武山を呼び寄せました。
 生活上の苦境に耐えながらも大観ら五浦の作家達は、それまで不評を買った「朦朧体」に改良を加え、同40年(1907)に発足した文部省主催の展覧会(文展)に、近代日本画史に残る名作を発表していきました。

■晩年

 晩年の天心は、ボストン美術館において中国、インド、日本での美術品収集を精力的に行うほか、日本や東洋の美術を欧米に紹介する著作や講演の仕事をこなしました。明治43年(1910)には同美術館の中国・日本美術部長に就任しています。 大正元年(1912)夏、ボストンに向かった天心は途中インドで、詩人ラビンドラナート・タゴールの親戚 にあたる女流詩人プリヤンバダ・デーヴィー・バネルジー(1871-1935)と出会います。以後二人の間にラブレターともいえる往復書簡が天心の亡くなるまでの1年間交わされました。 同2年(1913)体調がすぐれずアメリカから帰国した天心は、一旦五浦に戻った後、静養のため新潟県赤倉に移りましたが、病状が悪化し、9月2日、50歳の生涯を閉じました。東京染井(そめい)墓地に葬られるとともに、五浦にも分骨されました。

復興状況  ~茨城大学五浦美術文化研究所六角堂 復興計画より~

平成23年3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震」に伴う「大津波」により、日本美術院を創設した思想家の岡倉天心(本名:覚三 1863~1913年)が明治38年に建設した「五浦の六角堂」(国登録有形文化財)は、10メートル近い津波により、土台だけを残して流失致してしました。

六角堂の復興は、以下のような基本方針と経過のもとに進められています。
六角堂の復興の他に天心邸、長屋門の修復も行っています。さらに、地域振興のため日本美術院研究所の再建や、今回の大震災と津波を後世に伝えるために、海底調査によって引き上げられた品々や、復興までの記録を展示する復興記念館の建設を視野に入れ、六角堂を中心とした五浦地区全体の復興を計画しています。

六角堂再建の基本方針
1、六角堂は明治38年の創建当初の姿の復元を目指す。
 2、瓦は、昭和38年の改修工事で新しく葺き替えられたが、明治38年当時の桟瓦(8寸幅)で復元する。
 3、昭和38年の改修で変更された南側の出窓は、記録等を検討して当初のものに戻す。
 4、昭和38年の改修で撤去された中央の六角形の炉を再現する。
 5、土台の分析から、当初の外観を復元する。
 6、窓ガラスは、当時の製法による再現を試みる。
 7、建物全体の彩色は、明治38年当時のベンガラ彩色を研究して実施する。
 8、土台の分析から、石垣は当初、茨城産の石灰岩の平詰みだったことが判明した。
 9、露盤の宝珠は創建当初のものと推定されるが、破損が激しいため3Dスキャンにより当初の形態を復元し、その後実寸模型を作成し、完 成させる。

 

 6月 6日 第1回六角堂海底捜索
 6月14日 第2回六角堂海底捜索
 6月20日 第3回六角堂海底捜索
 7月 7日 第1回茨城大学と茨城県建築士会との再建合同会議
 7月20日 第2回茨城大学と茨城県建築士会との再建合同会議
 8月 1日 六角堂の測量を開始
 8月 6日 水戸黄門まつりにて、六角堂の復興をアピール
 8月 9日 六角堂基礎解体工事開始
 8月22日 第3回茨城大学と茨城県建築士会との再建合同会議
 9月13日 第4回茨城大学と茨城県建築士会との再建合同会議
 9月15日 第4回六角堂海底捜索
 10月14日 六角堂地盤調査
11月 2日 第5回茨城大学と茨城建築士会との再建合同会議
11月15日 立木(原木)の伐採
 11月15日 原木の葉枯らし乾燥(11月15日~1月16日)
 11月18日 工事契約締結(松井リフォーム(株))
 11月21日 起工式
 12月 7日 六角堂等復旧工事会議を実施
1月14日 六角堂建設位置測量
1月17日 いわき市山林で原木の玉切り
  1月17日 いわき市山林から五浦海岸へ原木の搬出
 1月17日 原木の乾燥(1月17日~2月6日)
  1月19日 長屋門入口養生塀に復興プロジェクトポスター設置
 1月21日 千波湖畔で「天心・六角堂復興パネル展」が開催(1月21日~3月31日)
 1月27日 六角堂瓦材搬入
 1月31日 六角堂原寸検査(千葉県君津市)
2月 2日 六角堂基礎コンクリート打設
 2月 6日 原木移動(五浦海岸から製材工場へ)
 2月 8日 木材製材(2月8日~2月13日)
 2月15日 造作材人工乾燥(2月15日~2月28日)
 3月 3日 木材加工(3月3日~3月24日)
 3月 6日 鬼瓦と宝珠が搬入
 3月12日 基礎外壁石張り開始
 3月19日 基礎外壁石張り終了(明治38年創建時の石張りを再現する)
 3月21日 工場ベンガラ塗装(3月21日~3月22日)
 3月25日 木製建具工場製作(3月25日~4月9日)
 3月26日 外部足場架け
 3月27日 軸組建方(3月27日~3月28日)
 3月27日 上棟式
 3月28日 六角堂棟札が搬入
 3月30日 内外部造作(3月30日~4月7日)
 4月 2日 瓦葺き(4月2日~4月11日)
 4月 6日 木羽葺き(4月6日~4月12日)
 4月 6日 内壁漆喰(4月6日~4月10日)
 4月 8日 外部ベンガラ塗装(4月8日~4月13日)
 4月12日 ガラスはめ込み
 4月13日 木羽葺保護塗
 4月13日 外部足場解体
 4月16日 引渡し
 4月17日   六角堂竣工式
 4月には「創建時に限りなく近い姿」の六角堂が、
 復興のシンボルとして五浦の海を目前に颯爽と蘇る予定です。

岡倉 天心(おかくらてんしん) ~茨城大学五浦美術文化研究所より~

岡倉天心

文久2年(1862)福井藩士岡倉覚右衛門の二男として横浜に生まれる。幼名覚蔵。
明治13年(1880)東京大学文学部卒業。
明治23年(1890)より東京美術学校校長。
明治31年(1898)東京美術学校校長を非職となる。橋本雅邦らと日本美術院を設立。
明治37年(1904)渡米してボストン美術館の仕事に携わり、以後日本、中国、インドの美術作品購入と、整理保存に尽力。同美術館顧問および中国日本美術部長として、中国日本美術部の中にインド部門を加える必要を説いた。
明治38年(1905)二年前に購入した五浦の土地に邸宅と六角堂を建てる。
明治39年(1906)日本美術院の絵画部を五浦に移転。
大正2年(1913)9月2日、赤倉にて没。享年50歳。

主著に『東洋の理想』(1903)、『日本の覚醒』(1904)、『茶の本』(1906)。
この写真は、ボストン美術館に於いて撮影したものである。

横山 大観(よこやまたいかん) ~茨城大学五浦美術文化研究所より~

横山大観明治元年9月茨城県水戸市に生まれる。本名秀麿。

同22年(1889)、東京美術学校開学と同時に入学、橋本雅邦に師事する。
同26年第一期生として同校卒業後古画の模写 に力を入れる。
明治29年の第一回日本絵画協会共進会に『寂静』を出品,初めて「大観」の号を用いる。
明治30年、東京美術学校助教授となるが、翌年の美術学校騒動に際しては辞職組の最先鋒の一人として春草とともに同校を免職となり、天心にしたがって日本美術学院展に『屈原』を出品し、歴史画論争で話題を呼んだ。線を抑えて空気を光の描写を試みた彼の作品は、当時「朦朧体」と非難されたが、日本近代化の斬新な実験をして次代へ受け継がれた。

明治39年日本美術学院の五浦移転にしたがい五浦で『流燈』などを発表した。天心の没後は再興美術院の中心的存在として活躍。『生々流転』、『夜桜』などの傑作を生みだした。
昭和12年(1937)に文化勲章受章。
同33年没。

現在大観の生家として旧酒井家が史跡指定されている。

菱田 春草(ひしだしゅんそう) ~茨城大学五浦美術文化研究所より~

菱田春草明治7年9月長野県飯田市に生まれる。本名三男治。

明治21年(1888)上京し、結城正明に日本画を学ぶ。同23年東京美術学校普通科に入学。
同25年本科に編入し、同27年、天心の勧めで川端玉章に師事する。
同29年、第一回日本絵画協会共進会で銅牌を受賞、」「春艸」と号した。のち「春草」と改める。
同31年の美術学校騒動に際し、天心と行動をともにして日本美術院創立に参加。古典を研究する一方で、西洋絵画の色彩 表現などもとり入れて没線描法を試みるなど、天心が理想とした日本画の新しい表現を追求し、『落葉』に代表されるような斬新な構図と写実的描写による名作を残した。彼の没線描法は同様の描法を試みていた大観とともに「朦朧体」と評された。

明治39年日本美術院の五浦移転に際し、大観等と行動をともにし、『賢首菩薩』などの名作を発表した。
同41年病のため帰京、同44年38歳の若さで没した。

下村 観山(しもむらかんざん) ~茨城大学五浦美術文化研究所より~

下村観山下村観山(本名晴三郎)は、明治6年和歌山市に生まれた。

狩野芳崖、橋本雅邦に師事し、東京美術学校卒業後直ちに母校助教授となった。
岡倉天心に殉じて美術学校を辞職し、日本美術院創立には正員として参加、新日本画の創造に尽くした。
英国に留学して水彩画の研究を行い、日本画古典の各派の研究とあわせ、高雅な作風を示した。
東京美術学校に教授として戻り、また日本美術院の再興にも尽力した。帝室技芸員となった。
代表作には「木の間の秋」「大原御幸」「弱法師」(重要文化財)などがある。

昭和5年没。

木村 武山(きむらぶざん) ~茨城大学五浦美術文化研究所より~

木村武山明治9年7月茨城県笠間市に生まれる。本名信太郎。

明治23年(1890)上京し、開成中学に入学、同時に川端玉 章に師事する。
同24年東京美術学校に入学。
同29年卒業後は岡倉天心が率いる日本絵画協会に参加した。

明治39年日本美術院の五浦移転に際し、下村観山の勧めで大観、草春等と行動をともにする。
同40年第一回文展の『阿房劫火』、同43年第四回文展の『孔雀王』でともに三等賞となった。

 

大正3年(1914)の日本美術院再興以降は同人として参加し、再興第一回展には『小春』を出品した。
その画風は特に色彩 感覚にすぐれ、写実的な描写力と古典を学んだ素養を生かして、大正初年頃までは歴史画に、その後は花鳥画に見るべきものが多い。
晩年は仏画を多く描いて高野山金剛峰寺金堂壁画等も担当している。

昭和17年11月没。

岡倉 天心の業績 ~茨城県天心記念五浦美術館HPより~

1.古美術の保存、保護に尽力

 文明開化という時代風潮の中、明治はじめの新政府の神仏分離令によって、廃仏棄釈が盛んになり仏像等の美術品が破壊され、また海外に流出していきました。近畿地方の古社寺を訪れ調査をする中で、古美術に対する造詣を深めていった天心は、そうした日本美術の行く末を憂い古美術の保護に強い関心を持つようになります。特に、明治17年(1884)法隆寺夢殿を開扉し、秘仏であったの救世観音(ぐぜかんのん)像をアーネスト・フェノロサとともに拝した時の驚きと感動を「一生の最快事なりというべし」と熱く語っています。
 同19年(1886)天心が文部省の命により奈良地方の古社寺調査をまとめた報告書「美術保存ニ付意見」は、文化保護について最も早く適切な提案をしたものとして今でも高く評価されています。
 同22年(1889)、天心は帝国博物館理事および美術部長に就任し、全国的な文化財調査、保護活動を本格的に推し進めました。帝国博物館の行った彫刻、古画の模写 ・模造事業をその後東京美術学校が担当し、それに大観ら生徒達が参加しています。さらに天心は日本美術院でも、奈良を本拠地とした国宝修理部門を設け、新納忠之介(にいろちゅうのすけ)らを彫刻の修理や復元事業に当たらせました。天心の発案した「現状維持修理」は、今日の古美術保存の最も適切な修理法として採用されています。
 亡くなる直前まで、病気を押して古社寺保存会に出席し法隆寺壁画保存の建議書を文部省に提出するなど、晩年まで天心の文化財保護に対する情熱は変わりませんでした。
 このような天心の文化財保護に関する綿密な調査活動と優れた見識は、明治30年(1897)公布された「古社寺保存法」に反映されています。また、天心の古美術保存の精神は、昭和4年(1929)の「国宝保存法」、さらに昭和25年(1950) の「文化財保護法」制定へと受け継がれ、今日の文化財保護の礎になっています。

2.新しい日本画の創造

 明治22年(1889)に開校した東京美術学校で天心は、それまでの画塾における粉本(ふんぽん)を模倣する修業方法から脱し、写 生(毛筆による線描と墨等の濃淡で実物の立体感を表現)、臨画(りんが)(線描と濃淡の習得を目指した古画の模写 )、そして新案(しんあん)(山水、花鳥などの課題にもとずいて創意工夫し制作)などの実技教育を取り入れ、近代的な学校教育制度のもとで新しい日本画の創造をめざしました。
  明治31年(1898)東京美術学校騒動により校長職を退いた天心は、日本美術院を創設し、横山大観、下村観山、菱田春草らを率いて、日本画の改革を推し進めていきました。天心の示唆で、大観が「空刷毛(からばけ)を使用して空気、光線などの表現に一つの新しい試みを敢(あ)えてした」というように、日本画の特色のひとつである線を使用しないで西洋画法を積極的に取り入れた没線(もっせん)主彩 による新しい表現を試みて模索します。
 しかし、この作風は一般には理解されず、当時のジャーナリズムにいかさま車夫いわゆる朦朧(もうろう)車夫に由来する蔑称(べっしょう)として「朦朧体」と呼ばれ不評を買いました。
 明治39年(1906)衰退した日本美術院のたて直しを図るため、第一部(絵画)を五浦に移転した天心は、大観、観山、春草、武山を呼び寄せ、再び新たな日本画の創造をめざしました。苦しい生活を強いられながらも大観や春草ら五浦の作家達は、「朦朧体」画法に、天心の示唆する日本の伝統絵画、宗達・光琳(こうりん)の画法を参考にし改良を加え、画面 に明瞭さを取り戻す中で朦朧体の悪評を払拭しました。
 五浦で制作された大観「流燈(りゅうとう)」、観山「木の間の秋」、春草「賢首菩薩(けんじゅぼさつ)」、武山「阿房劫火(あぼうごうか)」などの近代日本画史に残る名作は好評を持って迎えられ、天心の指導のもと個性的な日本画が創造されていきました。

3.東洋文化の欧米への紹介

 明治37年(1904)天心は、セントルイス万国博覧会において「絵画における近代の問題」というテーマで講演をしたり、またボストン美術館でも多くの講演や論文発表をしたりして、欧米人に対する東洋美術や日本文化の啓蒙に努めました。また、 この他にも、『The Book of Tea(茶の本)』をはじめとする英文による著作物を3冊出版しています。
 まず、「Asia is One」で始まる『The Ideals of the East(東洋の理想)』が、天心のインド旅行中に書き上げられ、明治36年にロンドンのジョン・マレー社から、また翌年『The Awakening of Japan(日本の覚醒)』がニューヨークのセンチュリー社から出版されました。これらは、ともに西洋文明に対抗してアジアの連帯と自主というテーマによって貫かれています。
 これに対しニューヨークのフォクス・ダフィールド社から出版された『The Book of Tea(茶の本)』は、茶の歴史、その流儀、道教と禅などの7章から構成され、茶をテーマに日常生活における自然と芸術の調和を説いたもので、日本の文化思想を紹介した著作物として世界的に高い評価を得ました。当時多くの国で翻訳、出版され、東洋・日本文化を知るテキストとして愛読されました。この『茶の本』が岩波文庫により日本語版として我が国に紹介されたのは、昭和4年のことでした。

4月15日(日) あの素晴らしいゲストと・・・・!

 東海村の高齢者施設にて、素晴らしいゲストと対面!あの「笑点」の座布団で有名な山田隆夫さんと会いました。この日は慰問に訪れ、笑点の座布団を施設のお年寄りさんたちにプレゼント。笑点でおなじみの色紋付姿で颯爽と登場され、涙あり、笑いありの軽妙トークを披露して、会場は大賑わい!


 山田さんといえば、僕らの世代には、野郎にも人気あった、珍しい男子アイドル「ずうとるび」のメンバー。そして、邦画史上に残る傑作「最後の早慶戦」「キネマの天地」さらには、あのスピルバーグの戦争超大作「太陽の帝国」にも出た名優です。どれも軽妙で、滑稽で、しかし彼にしか出せないペーソスあふれる人物リアリティもあって、実に良かった。特に、「キネマの・・・」の照明技師の役は、昔の古き良き活動屋気質を見事に体現され、秀逸でした。
 山田さんを紹介してくれたのは、私の友人であり、自宅周辺の谷中の飲み仲間の仙若さん。江戸太神楽の曲芸の名手でありながら、俳優の顔も持つ多芸な人。私が桜舞う谷中を舞台に撮った、乱歩原案の短編幻想ファンタジー映画の主役もしてくれました。
 この日は、山田さんらと食事をし、映画の裏話に花が咲き、大変楽しいひととき。しかも山田さんから「映画『天心』で、お座敷などでの座布団運びのシーンがあったら喜んでやります」の言葉が!有難うございます!もう少し違う役で(笑)一考します。それには、いつもと同じになるが、まず実現が・・・

茨城放送”notes”出演

4月14日(土)
 またまた・・・というより、今週は週休2日ならぬ、週5日、水戸(笑)で3連泊。この日は4度目の茨城放送出演。土曜日の番組「notes」には3度目の出演。本当に懲りないでいただき、感謝です。
 DJの山田タポシさん、木村さおりさんとはすっかり息が合い・・・と勝手に思い込んでますが(笑)本当に楽しい番組。山崎ディレクターの配慮で10分の出番が30分になり、逆にもつかなと思ったけど、2人の名DJのお力で全く杞憂でした。何と、タポシさんが天心版のFacebookを立ち上げてくれると番組で宣言!感謝です。
 詳しくはこちらへ→
http://www.ibs-radio.com/?act=Program&program_no=107&mode=Note&note_no=186&ibs=89b4ef2fe8670efff8301040b905a404

左DJ:タポシさん 右:木村さん

 画像にあるように、この日もNHK水戸の取材あり。ますます番組への期待が高まります。
夜はタポシさん行きつけのジャズの雰囲気漂う居酒屋で、初めての打ち上げ。木村さん以外に、宮田英里レポーターに受付嬢さんも来て美人ぞろい!楽しい春の一夜でした。ただ、車で来る人もいて、僕以外は全員ノンアル。東京的感覚で行くとやや驚きですが、こういう事を知っただけでも、地方都市の一面わかって深し。酒好きな僕だけがいい気に酔い加減で、すいませんでした(苦笑)でも、苦闘中には、こういう時間が本当に息抜きの、大切な時間。頑張っていきたい。先はまだ俄然、厳しいけど・・・

五浦と岡倉天心の遺産展

4月18日(水)~30日(月・振休)まで、京都高島屋グランドホール(7階)にて、五浦六角堂再建記念として『五浦と岡倉天心の遺産展』が開催されます。
天心が日本画というジャンルを確立した軌跡を、3章に渡って横山大観らの作品と共に紹介する素晴らしい企画となっており、ここに映画「天心」も宣伝コーナーを開設します。
また、4月17日に完成が予定されている六角堂の再建の様子も展示されており、明治から現代までの天心の「息づかい」を感じることができると思います。
関西方面の方は、足を運んでいただければ幸いです。
この後、東京・日本橋高島屋でも展示をいたしますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

土浦桜まつり

4月8日(日)
 桜ほぼ満開、春爛漫の土浦市亀城公園の桜まつりへ。土浦市商工会議所の女性会の皆さんが「天心」のカンバッジ販売をしてくれました。
 女性会の高橋さんは最近、事務局にも入ってくれ、HP作成のプロ。この日も女性会の皆さんと精力的に販売。頼もしいメンバーが加わって、ますます邁進できそうです。

一番右:土浦市商工会議所・女性会 高橋さん

 そして、この日もNHK水戸が密着!一緒に頑張る事務局や地元の方たちの様子を撮影してくれました。これはカットしないでほしいなあ、NHKさん・・・。
 その後は事務局長代行の上野健夫さんの母校、名門土浦一高OB会でも映画のPR,協賛呼びかけ、カンバッジ販売と大変協力いただきました。
 構内にある旧・本館は国の重要文化財で、旧制学校の名門らしい瀟洒で、重厚で実にすばらしい建物。映画の舞台になる東京芸大の前身、東京美術学校の撮影地の候補に考えており、OBの皆様の前でもそう語りました。
 たまたま、同校は僕の大学映研の後輩で、映画「チームバチスタの栄光」「怪物くん」などの人気監督、中村義洋監督の出身校。何度か飲んだこともあるけど、売れっ子監督には珍しい気さくで、律義で、心温かなナイスガイ!

撮影状況

2012年 11月クランクイン予定

2013年 天心生誕150年記念 県内上映開始

      以後、全国順次公開予定

岡倉天心ってどんな人?

不世出の画家・横山大観、彼だけが見た、師 『岡倉天心』 の実像とは・・・

日本の近代芸術に大きな足跡を残した岡倉天心。
その弟子たる若き日の横山大観の眼を通し、兄弟弟子である菱田春草・下村観山・木村武山らと共に芸術と真摯に向き合う姿や、師である天心の実像に迫る。

理想に燃えて設立した「東京美術学校」(現東京藝大)を追われた天心たちが辿り着いた
北茨城の美しい五浦の海と、後に彼がそこに建立した「六角堂」に込めた想い。

波乱の五浦時代を中心に、傷心の天心が立ち上がってゆく姿や弟子たちとの葛藤・師弟愛を描き、世代を超え、美術・芸術の在り方だけでなく日本の未来までも問いかける。

製作資金募集状況報告

復興支援映画「天心」は、個人・団体・企業からの協賛金(1口10,000円以上)を製作資金としています。
まず10,000人のご協賛をいただければ、クランクインできる道筋が作れます。
20,000人のご協賛をいただければ、全国に公開上映することができます。
そして、ご協賛していただいた方々には次の特典がございます。

【一般特典】
 映画協力券1枚/1口+グッズ+映画のエンドロールにお名前を入れます
【企業団体特典】
 50口以上の企業・団体様には、「天心を応援する企業・団体」(仮称)として紹介ビデオ(1分程度)をDVD発売時に特典映像として収録します。

以下、随時協賛金の状況をお知らせ致します。

【協賛金状況】
10%(平成24年3月28日現在)

北茨城福幸祭~100年先への第一歩~

3月25日(日)
 今日は北茨城。いつも力強いご支援いただいている五浦観光ホテルさんへ。ここには横山大観が住んでいた家(*後の別荘)も残されており、現在は客室としても使われています。映画「天心」でも重要な舞台になるため、撮影でもお世話になる予定です。


 そこで行われたのが「北茨城福幸祭~100年先への第一歩~」。北茨城の農産物や海の幸の安全性をPRするイベントで、北茨城市のご厚意で「天心」のPRコーナーも設けていただけました。
 朝、僕が着いた時には、すでに地元ボランティアの五浦観光ガイドの方々や福田良子さんらが勢ぞろい!イベント開始の前からチラシやカンバッジ販売の呼びかけを、夕方まで休みなく続けていただき、お陰様でカンバッジはなんと最高記録の300個!さすが天心の地元だけあって凄い!!本当に驚きました。


 今回の動きの中で、僕も初めて知ったのですが、呼びかけをするって、一見何でもないように見えるけど、かなりの勇気と根気と持続力がいる重労働なんですよね。天心と映画のために骨身を惜しまず協力してくれる地元の人たちの熱意に心底、痺れました・・・。本当に心から感謝、深謝です、北茨城のみなさん!
 イベントに来た人からも「映画が復興のシンボルになってほしい。とても楽しみにしています」と何人もから言われました。 
 この日のイベントのテーマは「100年先へ」。まさに天心は、約100年前に、この北茨城で「100年先」をめざし、誰も成し遂げなかった“奇跡”を実現した・・・
 100年目の今、映画「天心」も実現しなくては。100年先にも残るように・・・

水族館deアート!~海浜の化粧~

3月24日(土)
 先日、お知らせした大洗水族館前の砂浜でのイベント「水族館deアート!~海浜の化粧~」の撮影に行きました。
 開催の数10分前まで、無情の春の雨が吹き付ける。しかし、海辺に参加者が出ると、奇跡が!雨は鎮まり、雲の切れ目からはわずかな陽光が出たのだ。


 そして、震災復興、鎮魂の願いをこめて、撒かれた珪藻土。海がピンク色に染まった砂浜は、まさに竜宮城へと誘うような幻想の世界。
 そこに、天心と親交があったインドの国民的な詩人タゴールにちなんだ展覧会を西ベンガル州でも開催された書道の大家、川又南岳先生が文字を書く。

川又南岳先生

 その字は「よみがえれ 常世の海」――
 瞬時に消える砂文字。風と波の大自然の前に消えるがゆえに、はかなくも、大切な思い・・・最後は「命」の一文字を書かれた川又先生。シンプルだがこれほど力強い言葉は、今、ないだろう・・・。
 イベントを企画された大洗水族館長の河原井さんも「海と、海の語り部である水族館の回廊の浜辺で、鎮魂と再生のイベントをやったかいがありました」と静かに力をこめて語られた。これからも水族館の枠を超え、斬新な挑戦を続けていただき、衝撃と感激のイベントを期待しています!

河原井館長

3月15日(木)偕楽園の美女と、巨匠の夢の跡

またまたやって来ました!水戸。今回は言わずと知れた梅の名勝、偕楽園へ。久し振りだったのですが、改めて、感激したのは入園無料なのですね。
全く覚えておらず、券売所を思わず探してしまいました。
いわゆる日本三大名園、金沢の兼六園、岡山の後楽園の中でもタダなのは、ここだけとか。
少々残念なのはこの日、梅は4分咲き。白梅はまだで、観梅本部の人によると今年は10日以上、もしや20日近くも遅いという、めったにない現象。やはり未曾有の天変地異&異常気象の余波か・・・
本来は観光でゆっくり来たいけど、今の自分には、そんな余裕ない。あるわけない・・・。
この日は、天心を応援する美女たちの「天女」コーナーの撮影で来たのです。
前々から告知していますが、近く、このHPでもアップするので、男性諸氏はじめ、女子の方々も乞うご期待!

(*左から梅大使の池田祥子さん、皆川美里さん)

 偕楽園に来たのは、もちろん、梅大使さんが目当て(笑)。さっそく、池田祥子さん、皆川美里さんに登場、願いました。お2人とも、大変真面目で、映画への応援メッセージをどう言うか、どんな内容にするか・・・控室でしばし美女トークで討論、熱論、激論?そのやる気に思わず感激。
 さて、場所探しは・・・ということで、観梅本部近くの紅梅の巨木の前に
行ったのですが、あたりには、その木しか満開状態なく、観光客の撮影スポットにもなっており、お邪魔になるので、少し歩くと・・・発見!千波湖という水戸名所の美しい湖を見下ろす崖の上に紅梅、白梅の絶景が・・・。

 激論の末(笑)だけあって、メッセージはスムーズ。僕もインタビューのようなスタイルで、自然体に撮影できたかなと。面白かったのは、梅大使さんは基本的に観梅本部の近くで撮影に応じるので、この場所がこんなに綺麗に咲いているのをあまり知らなかったとか。
 ちなみに、梅まつりは今月31日まで。イベントや出店も盛りだくさん!
来月になっても、レストハウスや園内の茶店は営業しているそうなので、梅が見ごろならば、ぜひ!詳細は→http://www.mitokoumon.com/
 
そして、美女は梅大使だけじゃなかった・・・。もう一人、「天女」コーナーで偕楽園に来てもらったのは、美女というより、美少女だった!地元、水戸の名門、大成女子高に通う白石玲子さん、17歳。

 これも以前書いたデザイナーの藤代先生の紹介で、水戸コンでのあいさつをさせてくれたのですが、その折、会ったのが先生のブレーンの白石さん。そのお嬢さんが玲子さんだったのです。たまたま、母娘でいらしていたので、今回「天女」のコーナーにご登場を願ったのです。

 初対面から、イマドキ珍しい純真かつ清楚なルックスに、すぐ目が行きました。少し話をしても、聡明かつ利発。才色兼備の王道という女の子・・・
制服姿も初めて見たけど、品性の良さが漂い、独特の控えめな可憐さがある梅花とマッチするように撮れた、かなと。本人は大学受験まっしぐら。    
 お母様の恵美子さんも美女。この美しき母にて、この美少女あり・・・ですね。撮影が終わり、たまたま帰りがけの玲子さんに会ったのですが、その時、屋台で買った大きなじゃがいもを頬張っていた、その顔のあどけなさ、幼さ・・・少女は日々、呼吸し、日々、変わる・・・という言葉を何かの詩歌で読んだけど、まさに、17歳の早春・・・今しかない、切なく、だからこそ輝く美しさ・・・。 
 その後、すぐ近くの千波湖畔にある映画「桜田門外ノ変」の巨大セットへ。ここは撮影後もセットを残し、展示会やイベントも行う水戸の新名所。この「天心」のHPにもありますが、今月31日まで「六角堂復興パネル展」が開催。
私が撮影・構成した六角堂再建を紹介する記録映画も上映中なので、梅まつりの後は、ぜひ。石井竜也さん発案のカンバッジも販売しています!
詳細は→http://mitoppo.jp/

 ここで働く谷田部さんが毎回、天心の事務局会議に足を運んでくれ、貴重なアドバイスをしてくれる熱き男。今回も彼の計らいで、女性スタッフを集めてくれました。もちろん、ここにも「天女」に逢いに来たのです!


   とにかく、この桜田門はディテールと広さが凄い!時代劇のセットというと、どこかチープな作り物を想像想するかもしれないが、ここは全然違う。
 映画に出演した渡辺裕之さんが、柱や壁の一つ一つが本物でこれほど素晴らしいセットは初めてだった・・・と語っていたほど。
 井伊家の屋敷御門の巨大セット前で、女性スタッフたちに、またまた応援メッセージを。お揃いの「桜田門」の文字が書かれたハッピを来てもらい、閉館時間の寒風の中で、みなさん、ありがとうございました!

 その帰りがけ、夕暮れの厳しい風が吹く千波湖のほとり。ベンチに腰掛け、暮れゆく湖面を見ながら、ふと・・・佐藤純彌監督の名作「新幹線大爆破」を思い出した。中1の時に観て、その緻密なアイデアと、邦画離れしたダイナミックでスリリングなストーリー展開、高倉健さん、宇津井健さんら超豪華キャストたちの火花散る演技に圧倒されまくり、映画本来の持つ娯楽性に痺れた。 

 そのアイデアがキアヌ・リーブス主演のメガヒット作「スピード」の原案になったのも有名な話。たまたま、脚本を書かれた小野竜之助さんとは昔、一献させていただき、ハリウッド映画化の裏話など、貴重なお話も伺えた。

 寒風に揺られながら、携帯グーグルで検索すると、「新幹線・・・」を佐藤監督が撮られた時は、43歳――。僕より5歳も若かった。

 こういう時に必ず、頭に浮かぶ中原中也の詩がある。

 「ああ、おまえは何をしてきたのだと、吹き来る風が私に言う」

 だから、今しかない・・・

3月10日(土)大洗水族館の奇跡!?みんなで観に行こう!

 この日まで、3日間水戸に連泊。バスにて大洗水族館へ。都合いい事に水戸駅から直通のバスがありました。
 この日は酷い春雨だったのに、駐車場も館内もとても混んでいて、ややびっくり。しかし、周知の通り、風評被害で昨年夏、8割も海水浴客が激減したという大洗。2月の来場者数も前年比3割減と客足の回復には至らないとか。
厳しい経営状況の中で、4月8日まで、10周年記念で入場料を半額に!
大人900円、小中学生が450円で入場できるそうです。

 期間中は、100万尾に1匹ともいわれる「奇跡の黄金ナマズ」も特別展示され、大洗では今しか見られない!とか。これ、必見でしょう。他にも名物のイルカショーなど盛りだくさん。詳しくは→http://www.aquaworld-oarai.com/

(左が河原井館長)

 以前からお目にかかっている河原井館長さんにお会いしたところ、僕に記録映像の撮影をと言っていただきました。
 それは、3月24日、水族館前の砂浜で開催される復興祈念のイベント「水族館deアート!」の記録。今日は、その下見と打ち合わせに訪れたのです
 イベントは茨城県に住む造形作家の伊藤公象さん、書家の川又南岳先生、舞踊家の萩谷京子さんという超豪華陣が参加!同館前の浜辺で素焼きしてピンク色がかったケイ藻土を伊藤さんと一般参加者が散布。川又先生が砂の上に文字を書き上げ、萩谷さん監修の舞いを娘・紀衣さんらが披露するのです(*詳細は→http://www.artgene.net/event3.php?EID=11372

(*中央が川又先生)

 有難すぎる言葉に、こうして県内を歩き続ける事の歓びを体感。そのご厚意に答えるべく、全力を注ぎたい!

 実は大洗は僕のおばあちゃんの故郷。しかも、おばあちゃんは94歳で今も元気。耳が少し遠い以外には足腰もしっかりして、行方市にある息子夫婦の料理屋を手伝い、お昼の弁当詰めを毎日しています。
 
 ちなみに前回の大震災、つまり関東大震災も小学校の時に体験。しかし、大洗はほとんど揺れず、津波もなく、全く気がつかなかったとか。そんなおばあちゃんの故郷が今、元気を失っている。だからこそ、その砂浜に刻まれて、瞬時に消えていく、日本を代表するアーチストたちの芸術を刻み付け、後世に残したい・・・大洗を、茨城を力づけるモニュメントにしたい・・・と。
 皆さんも、3月24日、大洗に行こう!奇跡と軌跡を観に・・・
 この日は、川又先生に水戸まで車で送っていただき、阿字ヶ浦の鬱蒼とした森が広がる超神秘的な酒列磯前神社、東京にもまず無いような、広くて素敵な茨城名物のおしゃれな喫茶店「サザコーヒー」本店、そして、水戸にある先生のご子息の居酒屋さん「圓座」にも連れていっていただき、美酒と美味しい創作料理をご馳走にまでなってしまいました。
  
 川又先生は、安倍晋三元首相と共同で、あの有名な「美しい国 日本」の文字を揮毫し、茨城空港で、今年の干支「龍」の文字も書いた国際的な書道家。映画「天心」の実行委員にも入っていただき、もちろん、「天心」の題字をお願いしています。
多くの皆さんに、大変お世話となった一日。ますます映画実現への思いを新たにしました。

3月9日(金)なおも厳しい集金状況。しかし・・・・

  この日は、水戸にて、定例の事務局会議。やはり、最大のテーマは厳しい現在の集金状況だった。正直言って、目標はまだ遠い。不景気に重なった震災の余波・・・たしかに水戸をはじめ、茨城各地を歩くと目につくシャッター商店街と改修中の建物。みなさん、余裕がないのは当たり前。協賛をいただけるのは奇跡に近いと大げさでなく思う。厳しい現実の中で感謝を忘れず・・・・

 しかし、吉報もあった。「天心」の撮影を担当する芦澤明子さん。邦画界では珍しい女性キャラマンのベテランだ。僕とはダンカンさん主演のサスペンス映画「ダーク・ラブ」やフジテレビの「元ミス日本」のその後の人生を追ったドキュメンタリーでご一緒した。大ヒット作「60歳のラブレター」や同じ茨城が舞台で天心の弟子、陶芸家、板谷波山を描いた「HAZAN」など、数々の名作、話題作も撮った人。その彼女が撮影した新作「わが母の記」がモントリオール国際映画祭の審査員特別グランプリを受賞したのだ。
この映画祭では、あの「おくりびと」もグランプリを受賞し、オスカー受賞の前哨にもなった。今回「天心」の編集をしてもらうのは「おくりびと」も
担当した重鎮の川島章正さん。最強のスタッフが揃い、「天心」もモントリオールをめざそう!と気炎が上がった。苦しみの先に、オーバー・ザ・レインボーか・・・。

野澤さん撮影

 夜は、水戸の県民文化センター小ホールで、ドキュメンタリー映画「無常素描」の上映があった。東日本大震災から1か月経ったGWに、被災地の姿をキャメラに収めた世界最速のドキュメンタリー。
 上映の前に、企画をした310+1(ミトプラスワン)の方に無理を言って「天心」のPRあいさつと予告編の上映をさせてもらった。司会をした寺門さんや谷田部さんは「天心」の事務局会議にも毎回参加してくれ、貴重で親身なアドバイスをしてくれる。若くて、熱くて、何より映画を、茨城を最も愛する人たちだ。カンバッジの販売もしていただき、同じ女性スタッフの木村さんも懸命に呼びかけをし、手伝ってくれた。さらに渡辺裕之さんの講演会スタッフだった市役所に勤める野澤さんは、その時に知り合い、父上様も郷土史研究家で、天心・大観への造詣も深い。皆さまのお陰で、バッジはこの日、完売となった。本当に感謝、多謝!です。ミトプラスワンの詳細は→http://sites.google.com/site/3101cinemaproject/homeまで

 上映後、磯崎寛也さんと面談。
 磯崎さんは、TBS赤坂サカスのエリアや、愛知県の愛・地球博記念公園、さらには上海でも、アートプロジェクトやイベントを開催し、国際的に活躍する協会NANJO and ASSOCIATESの代表さんだ。恩田陸さんと同級生だった水戸一高では映画研究部に属し、早稲田大学で美術史を学んだ筋金の映画&美術人で、天心への造詣も大変深い。そのブログは天心学習の教本にもなるほどで、必見です!→http://www.ith.ne.jp/president/

磯崎さん。まさに俳優のようなクールハンサム!

 

 実は、僕へのエールもすでに2年前の2月にブログで綴ってくれ、「鬼が鬼を描く」という切り口で紹介してくれている→
http://www.ith.ne.jp/president/au/2010/0205/907.html

 この夜は、熱く映画話を交わした。水戸に芸術大学を!という高邁で面白い構想も持っている。磯崎さん、一緒に「天心」をぜひ実現しましょう!今日は、磯崎さんのブログの言葉でしめくくります。

お金の集まらない映画「岡倉天心」の監督に電話した。
皆、もう一つ伸び悩んでいる。
回路が開かない。
しかし目指す未来はある。

映画「天心」実現めざして! 苦闘・奮闘!監督日記 準備完了まで あと180日! 

3月1日(木)きっと笑える日は・・・来るか

 この前日から、またも協賛集めに苦闘奔走!今回は母親の故郷である行方市や、アントラーズで知られる鹿島方面へ。神栖→鹿島→北浦→行方→神栖→大洗と超強行軍で回り、行方市、神栖市と2人の市長にもお会いし、諸々のお願いをしてきました。協力的な返事をいただき嬉しい限り。

 1日に訪ねたのは、行方市にある霞ヶ浦ビレッジパーク芸術村。ここで素敵なデザイン事務所と工房を構えるのが藤代範雄さん(下記左)。

つくば科学万博会場内のデザインや、長野五輪のポスターも手掛けられ、フランス、スイス、ロシアの芸術祭でも入選、受賞された世界的にも有名なグラフィック・デザイナーの先生です。そのオフィスがまた素晴らしくアート的!

雑木林の庭にシュールな彫像が並ぶ森の中のアトリエに案内されると、何とその壁には巨大な天心ポスターが!

先生は天心に大変造詣が深く、今回の映画にも多大な協力をしてくれ、この

ポスターもわざわざ無償で製作してくれたのです。「天心は日本の美術、文化を可能性を広め、現代アートの原点にもなっている。そんな人がこの茨城にいたのが奇跡。それを映画化することは素晴らしく、絶対に実現しましょう!」と熱く語ってくれ、僕もいつも勇気づけられています。

映画が正式に決定したら、ポスターも担当してくれるので、今から楽しみ!

先生の素晴らしい仕事はこちらへ↓

http://www.fujishiro-design.jp/

 

ちなみに、上記画像の左に映る恰幅のいい人(笑)がマエPこと前山くんです。本業は、守谷市や坂東市で倉庫や運送業を営む会社の社長さん。

日大芸術学部の演劇学科卒で、あの爆笑問題の太田さん、田中さんと同級生!

若き日の彼らと青春を過ごし、演劇界の名優、加藤健一さんの事務所に入り、日大アメフト部を描いた、宍戸開さん、富田靖子さん主演の映画で準主役も務めた元俳優なのです。今も本業の傍ら、地元で演出、主演の舞台をする熱血漢。

 

いつも僕と回ってくれる心強い相棒で、この2日の強行軍も一緒でした。

前日は、僕の叔父夫婦がやっている行方の料理屋で「あの時は、先行きもわからず、がむしゃらにやっていたけど、今は良かったね・・・なんて言える日が早く来るといいですね」と飲みながら、しみじみと・・・。

 

「きっと笑える日もくるわ」今まで、何度、そう思ったことだろう・・・

 

3月2日(金) 悲しき日本アカデミー賞授賞式

 この日は初めて、日本アカデミー賞の受賞式へ・・・もちろん招待でなく(苦笑)自腹1万円なりを払って。映画大ファンの従兄の人が一度見たいと前々から言われ、同伴で行ったのです。アカデミー協会に入会して約20年で初めて。さまざま思いもあり、誘われなければ、中々行かず・・・

賞の結果は僕ごときが今さら言う事でもなく、どうぞスポーツ新聞なり、HPなりでご覧ください。強く印象に残ったのは、特別賞を取った高峰秀子さんの夫、松山善三さんがあいさつの時、言葉につまり、娘の方が代わって「父は母が亡くなってから、言葉が出ないようになりました」と涙ながらに話されたこと。99歳の新藤監督が車いすで登場し、感激の言葉を出されたこと。

そして、昨年、亡くなられた映画人の紹介で、撮影の安藤庄平さん、女優の沖山秀子さん、脚本家の石堂淑朗さんなど素晴らしい映画人が亡くなられた事を知らなかった自分の愚かさを心から恥じたこと・・・。

僕の座った指定席は記者席より後ろの最後列から3烈目の席。レッドカーペットすら全く見えず、ステージもゲストの席もはるか遠く。そこだけがスポットを浴び、自分はまさに疎外された闇の中にいるよう。ステージの監督は僕と同世代か、若い人もいて、はるかに取り残された気分に猛襲され・・・

従兄には「そのうち、君が受賞して、良い席に座らせてくださいよ」と励まされたが・・・。

いつか、あのステージへ行くぞ!行ってやる!・・・なんて、もう今の僕は思わない、思えない。そんな余裕ない。ない!ない!絶対ない!

映画「天心」実現めざして! 苦闘・奮闘!監督日記 古河市にて

2月19日(日)古河市の本格派合唱チームが予告編の名曲を!

 

この日は古河市へ。驚いたのは、私の家の日暮里から何と電車で1時間!

知らないもんだなあ・・・意外に近く、横須賀と変わらない。

取手も40分くらいだし、茨城って身近なんだ。沿線に30年近く住んでて

恥ずかしい限りです。

 

この日は、古河市民の人たちから成る混声合唱団「らん」の人たちが予告編に使う「アメイジング・グレイス」を歌ってくれました。この歌詞を作ったのはイギリスのジョン・ニュートンという人。黒人奴隷の貿易商人だったが、航海中に激しい嵐に遭い、神に熱心に祈った所、奇跡的に助かり、以後、過酷な奴隷の待遇を改善。最後は改心して牧師になったとか。祈り、哀悼を感じさせながらも、神々しさ、気高さを感じる名曲で、どこか深遠な藝術の道に挑んだ天心、大観、早逝した春草のイメージにぴったりだと。そして、悲しくも3.11で無残に一変してしまった北茨城への追悼にもなる曲となりました。

 

CDの曲は歌手の著作権もあるので、歌を全部入れ直したのです。嬉しい事に、「らん」の皆さんは全員ボランティアで、東京在住の方も半分くらいいて、わざわざ古河まで来てくれたのです!予想以上に大人数で、もちろん声量や技術も古河や東京でもコンサートを行う本格派で、本当に感動しました!この曲を入れ替えた予告編は、近くHPにもアップしますので、乞うご期待下さい!

(*指揮&編曲してくれた酒井さん)

指揮者の酒井さんは東京芸大音楽学部卒の本格派。編曲までもやっていただきしかも、お嬢さんの蘭子さんがボーカルで美声を披露してくれました。何と本職は栃木で陶芸作家をやっているとか。肝心の歌唱力は透明感と強さもあって素晴らしく、さすが父上譲り!おまけに美声に劣らず、美人!と天は二物を与えたまえたのです。彼女の映画への応援メッセージもやがてHPで流す予定なので、こちらもご期待ください!この皆様の応援に必ず答えたい!答えねば・・・

(*ボーカルの蘭子さん 23歳!)

ひなまつりに美しき姫がいた!?「波山の夕べ」

3月3日(日)この日は下館の美術館に参りました。そこで開かれたのが「波山の夕べ」。
天心の弟子で、文化勲章も受賞した陶芸家、板谷波山の故郷です。榎木孝明さん、南果歩さん主演で映画化もされ、この日は彼の誕生日で、「震災とやきもの」というテーマで講座イベントが開かれたのです。
 企画をしたのは、地元で大正時代のとても瀟洒な建物で歯科医をされている一木さん。そのお取り計らいで、またも「天心」の飛び入りPRをさせていただきました。本当に感謝、有難うございます!
さらに、波山研究の第一人者、学習院大学の教授で、映画「波山」の原案も担当された荒川正明先生の講演もありました(*下写真・中央の人)
耐震設計などなく、天変地異で一瞬で消えしてしまう茶室のような、日本のもろい建造物には、徒然草にも見られる“無常”がある・・という講義は秀逸。
思えば、天心が愛した六角堂も同じ“無常”の運命をたどったのだ・・・と。

 その荒川先生をご紹介いただいたのが長久保徹さん(*上写真・右)。
音楽家であり、歌手であり、詩人であり、エッセイストであり、塾の経営者でもあるマルチ人。あのヤマハポプコンの元関東代表であり、何と「フリーター」という言葉の生みの親だとか!

さらに、荒川先生の親戚で、この日は幼少のころから40数年ぶりの再会になったそうです。長久保さんとは、水戸でのドキュメンタリー映画の上映会で、ライブがあり、穏やかに力強く原発などの社会批判を訴える歌声と姿に感激。その日の打ち上げですっかり意気投合し、以来、嬉しい事に天心も熱く応援してくれています。
とにかく彼の音楽は素晴らしく、レコーディングされたばかりの「咲きわいなさい(幸わいなさい)」は、歌詞といい、女性ボーカルの温かみといい、メロディといい、久々に心に沁みた名曲。
水戸市内を走る車内で聴かせてもらい、あまりの切ない感動に、その日の
一献まで痺れっぱなし。この名曲を今後、僕が演出するテレビのドキュメント番組でも使用するつもりです。
長久保さんの詳細は→http://www.poemix.com/corporate/corporate.html

 夕べの会の後、こちらも飛び入りで、打ち上げに参加させてもらいました。
明治時代から受け継がれたという老舗の料亭「荒為」さんの蔵の中が会場!
素敵なお部屋で、ちょうどひなまつりの日ゆえ、春情緒たっぷり。と、そこに、まるでお姫さまのような美人が・・・・!

 (*中央がくみさん、左が弟さん)
 川崎で美術古陶磁復元をされている繭山さんのお嬢さん、くみさんとその弟さんです。何でも親子3代にわたりお仕事をされているとか。そして、やはりくみさんは東京理科大の準ミスキャンパス!僕の目に狂いなし。
彼女も「天女」コーナーにそのうちアップしますので、乞うご期待。
そしたら、お父様の浩司様が、何と協賛に協力いただいたのです!嬉しい限りで、2時間かけて、下館に来た甲斐を心から感じました。有難うございます。
繭山さんご家族により多くの幸あれ!僕も「天心」実現めざします。

茨城県更生保護女性連盟

2月28日、茨城県更生保護女性連盟の結成55周年記念のつどいが土浦市民会館で挙行され、ご厚情で映画「天心」もブースを出店しました。
缶バッジやポストカードの販売、それに協賛金や寄付金の募集をしたところ、多くの皆様から沢山のご厚誼を頂戴いたしました。
本当にありがとうございました!

茨城県更生保護女性連盟

映画「天心」実現めざして! 苦闘・奮闘!監督日記 準備完了まで あと185日! 取手宿ひな祭りにて

2月26日、取手宿ひな祭りに映画「天心」のブースを出し、缶バッジやポストカードを販売しました。
また、この日は「天心」映画実行委員会副委員長の藤井信吾・取手市長も会場に駆けつけてくれ、監督や取手在住のアーティスト・傍嶋賢さんらとのトークセッションは大いに盛り上がりました。
藤井市長、ひな祭り事務局の皆様、本当にありがとうございました。

 

藤井市長と監督のトーク

2月26日(日)松村克弥

 

取手で行われた「取手宿ひなまつり」に行ってきました。140年の伝統を

誇る奈良漬の老舗「新六本店」の田中社長さんのお取り計らいで、アート縁日の通りで、カンバッジの販売とトークショーをさせていただきました!

なお「取手宿ひなまつり」は3月3日まで開催中。「新六本店」の蔵にあるお雛様やつるし飾りは必見です!前にも言いましたが、取手は日暮里から約30分ほどの至近。たくさんのイベントもあり、詳しくは→http://toride-hina.com/

   

そして、縁日通りにて、天心のカンバッジの販売。
ぬいぐるみ tagui と一緒に ODEKAKEST mammina (オデカケスト マミーナ)さんが撮影してくれました。マミーナさんの素敵な画像満載のブログはこちらでご覧下さい。(http://ameblo.jp/odekakest
 
ちなみに下記左が傍嶋賢さん。
何と、横山大観の後輩、名門芸大卒!取手在住の若手アーチストで、「天心」のカンバッジ、チラシも彼のデザインです。
この日のひなまつりでも、ずっと隣でスタンプラリーの受付をし、天心もPRしてくれました。
中々のイケメンで、芸大時代には、まだ学生の伊勢谷友介さんや日本画家の松井冬子さんがいてキャンパスでミタた!とか?
黄金世代として、活躍中です!詳しくは彼のブログへ(http://sobasuta.blog137.fc2.com/
 
そして右が僕の……ではなく、彼の奥さんのみきさん。
眼力の素敵な美人!ご主人とデザインの仕事をしており、さっそく、映画「天心」を応援する美女たち「天女」コーナー用に撮影。
近々にこちらもアップします!

 

お知らせです!!

松村監督、2月23日ネット配信番組

「笑顔311」に出演!映画「天心」の話を

熱弁してます。下記、ぜひ見てください!

http://www.ustream.tv/recorded/20639989

映画「天心」実現めざして! 苦闘・奮闘!監督日記 準備完了まで あと186日! 水戸一高 東京知道会にて

2月25日、大手町サンケイプラザにて水戸一高東京知道会が行われました。
多くの皆様に対して映画「天心」を広めることができ、監督・スタッフ一同感謝!!

水戸一高東京知道会

2月25日(土) 松村克弥

この日は、茨城の名門中の名門、水戸一高OB会に参加させていただき

入口でのカンバッジ販売と、急遽、舞台挨拶もOKになり、協賛の呼びかけを。結果、一口協賛の1万円にも何人も協力いただき、感謝感激でした!有難うございます。それにしても、ここの映画人OBは凄すぎる!深作欣二さんに、柳町光男さんに、小泉堯史さんと邦画界の巨匠が目白押し!映画の才能を育み

理解ある名門・・・もちろん「夜のピクニック」が、原作の恩田陸さんの水戸一高体験を元に書いたのも有名な話。ご本人はいらしていませんでしたが、サイン入りの本が脇のコーナーで飛ぶように売れて完売。羨ましい限り(笑)

 

その後、実に悲しい場所へ・・・あの北公次さんのお通夜に伺ったのです。

北さんは、先日、お伝えしたばかりの映画「竜二」の準主役でした。あまりのはかない偶然に愕然、唖然。かつて竜二の関係者を通し、二度ほど、北さんと飲んだ事あり、市川崑作品「悪魔の手毬唄」に出演した時、巨匠、市川崑監督はすごく優しかったこと、有名な暴露本でも書いていた、ずっとスターで育ち、マネージャーがすべてを管理していたので、キップの買い方も知らなかった話など丁寧に話してくれ、物静かでとても優しく、繊細そうな人でした。「竜二」の残像が忘れがたく、昭和がまた消えていく・・・合掌。それにしても、僕はいまだ・・・(涙)

映画「天心」実現めざして! 苦闘・奮闘!監督日記 準備完了まで あと196日!

2月15日(水)

告知通り、キネカ大森にて名作「竜二」のトークショーに行ってきました。

劇場の人から聞いたところ、何と土日は満員立ち見だったとか!しかしこの

日は平日ゆえ、少し厳しいかも・・・と心配いただきましたが、ほぼ、ざらっと入る予想以上の盛況に感激。さすが僕の力(笑)ではなく「竜二」の時代を超える力!20年ぶりくらいに見ましたが、やはり心に沁みる傑作ですね。主演の金子さんはまさにこの竜二をやるために生まれ、壮絶に生き切った・・と痛感。キネカの支配人、長島さんは美人だし、男性スタッフもイケメンで(笑)おまけにこだわりの二本立ても素晴らしくイマドキ貴重な映画館ですね。東京テアトルの沢村さんも有難うございました!ぜひ、また企画してください

撮影監督の川越さんとのトークも実に楽しかった。川越さんとは「竜二」で気弱な若いヤクザを熱演した桜金造さんがいた人気お笑いグループ「ザ・ハンダース」の30年後を追いかけたフジテレビのドキュメンタリーも作ったのですが、ここまで「竜二」の話を聞けたのは初めて。金子さんはよく紹介されるように暴力団にいたような事実は一切なく、もう一本の映画「チ・ン・ピ・ラ」の柴田恭兵、ジョニー大倉のモデルになった2人と知己だったので、あのリアルな演技を出来た。普段は本当におとなしい、いい奴だった。ラストの名シーンの舞台になった幡ヶ谷界隈の肉屋さんや、竜二が働く昭和な酒屋さんは現存し、肉屋には今も「竜二」を見て来たというファンもいるなど、話は尽きず。ちなみに、「竜二」の上映に多大な協力をした名画座「上板東映」の元支配人、小林さんが僕のデビュー作「オールナイトロング」のプロデューサーをやってくれました。その小林さんも4年前の桜咲くころに亡くなり・・・果たして、僕は「竜二」のような作品を撮れたのか。「天心」で果たせねば・・・

(右が川越さん 左が松村)

板橋区茨城県人会

2月17日、板橋区茨城県人会の新年会に実行委員会事務局長代行の上野とプロデューサーの河本が参加いたしました。
映画「天心」予告編の上映と挨拶の機会を得て、大変感謝しております。
皆さまから協賛金を頂いたばかりか、特製缶バッジもお買い上げいただき誠にありがとうございます。
写真は締めの合唱シーンです。手を繋いで「星影のワルツ」大合唱でした。
本当に多謝、多謝!

板橋区茨城県人会

江戸川区茨城県人会

2月18日、タワーホール船堀にて江戸川区茨城県人会が行われました。
お陰様で松村監督の挨拶も無事に終了!
写真中央のご令嬢は、監督の妹君で江戸川区議の上田令子さん。
みなさま、本当にありがとうございました。 

提供:㈱東都よみうり新聞社様

天心・六角堂復興パネル展

水戸市の千波湖にある『桜田門外ノ変』オープンセット・記念展示館において、「天心・六角堂復興パネル展」が開催されています。
3.11の津波で全流出した六角堂を茨城大学が復興する様子や六角堂の実物大模型、それに映画「天心」のPRパネルが展示されています。
また、映像コーナーでは六角堂創建から再建の起工式までを記録した復興記録映像が上映されています。
これは映画「天心」の松村監督が演出した作品であります。
ぜひ、梅の開花と一緒にご覧下さい。

天心・六角堂復興パネル展

映画「天心」実現めざして!苦闘・奮闘!監督日記 準備完了まであと200日

2012年2月11日(土)

 

この日は水戸づくし(笑)!昼2時半から茨城放送「ノーツ」に、またも出演させていただきました。茨城放送さんには今回で4回目の出演です。名DJ山田タポシさんのいつもの絶妙トークにまたたく間に出演の約15分が過ぎました(笑)映画のためにデザイン発案してくれた石井竜也さんのカンバッジの話や、タポシさんの映画出演依頼など本当に楽しい番組。相変わらず映画実現のための協賛金集めに苦闘中!(笑)そして応援よろしくのメッセージもしっかりPRしました。ぜひレギュラーを狙いたい!・・なんて(苦笑)

 

無事に茨城放送での収録を終え、その後タクシーを飛ばしてやって来たのは、何と南町自由広場の「水戸コン」会場!

街ぐるみの合コン&婚活企画で名付けて「街コン」だそうで、今、巷で大流行だそうです。たまたまBSの番組で見たのですが、何と、この日だけで北海道から鹿児島まで全国10か所でやっており、東京は下北沢でもやってるとか。震災後に絆を必要と思う若者も増え、結婚願望も増えて、どこも大盛況。水戸コンも何と、1時間で応募の定数満員で締切だったとか。この日も2400人の男女が大集結!

で、会場に行き、若くもない(笑)僕など全く疎遠かなあ、反応も薄いだろうなあ・・・と臆病者ゆえ心配したのですが、ステージにはしっかり映画のポスターも貼られ、こちらも司会者の方たちの絶妙トークで大いに盛り上げてくれ、映画PRへの反応もあり、大変楽しかったです。おまけにオープニングを告げる鏡割りまで人生で初めてさせていただき、水戸の梅大使さんの美女たちも隣にいて寒さも吹き飛びました(笑)その後、水戸の街を歩いたのですが店は賑わっているし、相手めざしての若い男女が楽しげに行き交い、何か「恋愛解放区」のようで(笑)実に活気に満ちて町おこしには最高のイベントかと。B級グルメ、ゆるキャラ、そして、街コンが町おこしの3大名物!になりそうですね。そして、第4の候補に映画もぜひ加えたいと思います!香川県の「うどん」県に続いて、茨城を「映画県」にしたい!それには「天心」必ず実現せねば!

ちなみに、水戸コンは、次回5月19日にあるそうで、私、今度はイベントに参加!ではなく(笑)またステージであいさつさせていただき、カンバッジを売りたいなあ。何でも5月はもしかしたら3000人も集まるとか。最後に私の出演を取り計らっていただいた藤代範雄デザイン事務所の藤代先生、どうも有難うございました。心より感謝です!

 

そして、緊急告知!!

今月15日に、私が昔いた毎日映画社の先輩キャメラマン、川越さんが撮影監督をした名作「竜二」が上映されます自身がヤクザの世界に身を置いたことのある金子正次が脚本・主演をこなし、本作完成直後にガンで急逝。その圧倒的な存在感でたった1本の映画に出演し伝説となった金子正次の遺作です。共演された桜金造さんとは私はドキュメンタリーの取材でもお世話になり、裏話などもたくさん聞き、トークをすることに!場所は大森にあるキネカ大森で、これも快作「チ・ン・ピ・ラ」と入れ替えなしの二本立て!しかも水曜日のサービスデーで、男女平等で(笑)男性も1000円で観られます。素敵な映画館で、素敵な名作をぜひ観に来てください!

2月15日(水)キネカ大森にて→http://www.ttcg.jp/cineka_omori/price/

215()「竜二」トークショー第2弾・急遽決定!

「竜二」の撮影監督である川越道彦さんのトークショーが急遽決定致しました!
当時の撮影現場のお話や裏話など大変貴重なお話をして下さいます
聞き手には、「天心」を制作中の、松村克弥さんをお迎えします。
松村監督のご紹介により本トークショーの実施に至ることとなりました。
お誘いあわせの上、ぜひご参加くださいませ!

【イベント日時】
2月15日(水)「竜二」19:00の回上映終了後
【ゲスト】「竜二」撮影監督:川越道彦さん
映画監督:松村克弥さん

 

 

 

 

石井竜也さん発案 缶バッジ販売のお知らせ

石井竜也さんが発案・映画天心の缶バッジ

先ごろデザインが発表された、映画「天心」の缶バッジが出来ました。

アーティストであり、映画の応援団でもある石井竜也さんが発案しました。
「START」、この文字には天心らの新しい芸術活動がここからはじまった、そして日本の3.11からの復興がここからはじまるという意味と、「Art」という意味を石井さんが重ねあわせています。
デザインは象徴的な天心の横顔と「Art」には映画の舞台、北茨城市のシンボルカラーであるシャクナゲのピンクをさしています。
この缶バッジの売上は、映画製作費に充てられます。
映画づくりと盛り上げのため、多くの方々にお買い求めいただければ幸いです。
今日現在の情報は下記のとおりですが、今後、販路等を増やしていく予定です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
 
価格 300円/個
常設販売店
Cafe&Gallery Gurunpa(ぐるんぱ)
水戸市水府町1502
電話・FAX 029-228-5256

JOY・HOUSE(ジョイ・ハウス)
守谷市けやき台1-26-7
電話・FAX 0297-46-0081

イベント販売
2月26日(日)午前10時~
取手宿ひなまつり(松村克弥監督トーク会場)

2月28日(火)午前10時~
茨城県更生保護女性連盟総会
土浦市民会館
土浦市東真鍋町2-6

 

 

北茨城市大津町青年部総会

プロデューサーの星加です。
2月11日、五浦観光ホテル別館大観荘にて映画「天心」の舞台となる大津町の青年部総会にお招きいただき、ご挨拶と予告編の上映をして参りました。
茨城県内で最も震災の被害を受けた大津町、来月で1年を迎えようとしていますが、「負けねぇぞ!!大津港」を合言葉に頑張っている皆さんと一緒に映画づくりをしていきたいと改めて感じました。
毎月必ず北茨城に入っていますが、そのたびに映画に対する市民の思いに元気をもらっています。
ぜひ、成功させましょう。
お招きいただいた佐藤信一青年部部長、前田賢一さん、そして村山功さん、ありがとうございました。

茨城県人会賀詞交換会

2月8日、東京グランドアーク半蔵門において、茨城県人会賀詞交換会が行われ、映画「天心」も宣伝ブースの設置と松村監督の挨拶がありました。
東京も小雪がちらつく天候でしたが、大変大勢の県人が集い大盛会でした。
映画「天心」についても、多くの方から激励をお言葉を頂戴し、だんだんと知られてきていると実感しました。
お招きいただいた海老沢勝二会長と、準備していただいた茨城県東京事務所の皆様に感謝!

平成24年茨城県人会賀詞交換会

林文子横浜市長と面談

林文子横浜市長

2月1日、横浜市役所市長室にて林文子市長と監督らメンバーが面談。

横浜市と言えば、天心生誕の地。

現在は横浜市開港記念会館として、大正6(1917)年の建物がこの地にありますが、福井藩士だった天心の父が幕末にここで藩命により生糸問屋を始めます。

福井藩は開国の窓口であったここに、今で言う「アンテナショップ」を開設して海外情報を収集をしていたわけですが、バイリンガルの先駆けとなる天心がここで生まれたことが大きな影響を及ぼしています。

こうした歴史を背景に林市長も映画「天心」に協力すると、力強く言っていただきひたすら感謝!

 

生誕記念石碑

 

山口那津男代表・松あきら副代表への挨拶

今日は監督はじめメンバーが東京で打合せと挨拶回りです。

参院議員会館にて、公明党の山口那津男代表と松あきら議員とお会いしました。

お二人とも、天心の缶バッジを早速胸につけていただき、ありがとうございます。

山口代表は茨城県那珂湊町(現・ひたちなか市)のご出身。

英語の勉強にとお父上から渡されたのが、なんと天心が英語で著した『The Book of Tea』。

これでは、お話をしていても天心の専門家並に詳しいわけです。

納得。

そして宝塚花組のトップスターから政界に転じた松副代表も、天心との深い縁があることがこの日判明し、監督も驚愕。

そのお話は後日…。

ユキニモマケズ

事務局のマエPです。先日の関東の雪ではあちこちで影響が出ましたね。

私もあの翌日、松村監督と一緒に茨城県の商工会の方々にご挨拶にうかがう予定だったのですが、雪による交通の混乱でちょっとばかり焦る場面がありました。

監督が前日から六角堂再建記録映像の撮影で福島県入りしていたのですが「帰りに乗った高速バスが、常磐道の一部通行止めにより身動きが取れない」と待ち合わせ当日の朝連絡が入ったのです。

この日は茨城県内各地から商工会関係者が集まる席だった為、なんとしても映画のPRと支援のお願いをしたかったので「とりあえず私だけでも」ということで会場入りしご説明をさせていただいたのですが、残念ながら事務局の私だけでは力不足で、せっかくプレゼンのお時間をいただいたのに会場の方々にも上手くお願いできませんでした。

自分の非力さに途方に暮れていたところ、守谷市の商工会長さんが「監督は今どの辺りで足止めを喰ってるんだい?」声をかけてくれたので「〇〇サービスエリアの近くらしいです」とお答えしたところ 「なんだ、そこなら目と鼻の先だから直ぐ監督に電話してサービスエリアから外に出てタクシーでこちらに向かうように言いなさい」とアドバイスしてくれたのです。

早速そのようにしたところ、なんと30分後に松村監督が到着し、しかも商工会連合会の会長さんがわざわざ監督をステージ上に呼んで再度プレゼンさせてくださったのです。

いや~、もう皆さんのお心遣いに感謝感謝でした。

おかげさまで、そのあと予定していた水戸商工会議所の役員会にも間に合い、無事に茨城県商工会議所の会頭さんにもご挨拶し監督と一緒にプレゼンさせていただくことができました。しかも、その場で協賛金にご協力してくださる役員さんまで…(ちなみに商工会と商工会議所は別の組織なのです)

行く先々で皆様からの温かいご支援をいただき、松村監督も「まるで天心の見えざる手に導かれているようだ」と感激しきりでした。

こうした茨城の皆様からのご恩に報いるためにも、映画化に向けて志も新たに頑張りますので、応援をよろしくお願いいたします!!

映画「天心」11月クランクイン 製作へ支援呼び掛け

(2012.1.22 02:02 MSN 産経ニュースより)

 ■六角堂 祈る再建

近代美術に大きな足跡を残した岡倉天心(1863~1913年)を描く映画「天心」が11月にクランクインする予定になり、松村克弥監督が21日、映画製作への支援を呼び掛けた。天心ゆかりの「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」(北茨城市大津町)が東日本大震災の津波で流失したが、松村監督は記録映像「天心・六角堂復興プロジェクト」の撮影も進めており、同日、前編の上映が始まった。

映画は、天心生誕150年、没後100年に当たる来年の公開を目指す。水戸市出身の渡辺裕之さんの出演が予定されているほか、県内出身俳優らと出演交渉を進めている。

松村監督は「天心が五浦に移ったときは都落ちと揶揄(やゆ)され、どん底の時期だったが、そこから横山大観らを育て、後世に残る作品が生み出された。茨城も震災で厳しい状況だが『ここから始まる』というメッセージを発信し、茨城、日本を元気付けたい」と意気込みを示した。

3年前から構想が進められており、製作委員会の河本隆プロデューサーは「土台しか残っていない六角堂の写真には強い衝撃を受けたが、茨城の仲間が『やろう』と言ってくれ、作らなければいけない映画だと思った」と支援を訴えた。2億円を目標に協賛金を募っているが、1割程度しか集まっていないという。

一方、記録映像は茨城大の協力を得て撮影を進め、六角堂流失から昨年11月の再建起工式までをまとめた前編(約20分)が完成。3月31日まで「桜田門外ノ変」オープンロケセット・記念展示館(水戸市千波町)で上映される。

 

[過去の茨城新聞の写真より]

    

震災前の六角堂(左)と 津波により流失し、土台のみとなった六角堂(右)

映画「天心」缶バッジのデザイン発表

(撮影:傍嶋賢)

近代日本美術の発展に功績を残した岡倉天心の生涯を描く映画「天心」の実行委員会事務局(城之内景子事務局長)は、同映画をPRする缶バッジのデザインを発表した。缶バッジは、映画主題歌を担当する北茨城市出身のミュージシャン、石井竜也さんが発案、取手市在住のアーティスト、傍嶋賢さんがデザインした。

バッジには「復興支援映画」や「天心」「START」などの文字と天心の横顔が入っている。

天心の横顔などは北茨城市の花、シャクナゲの色であるピンクのほか、同じシャクナゲの紫▽松の緑▽海の青▽自然薯(じねんじょ)のオレンジ-の4色で描かれた4種類がある。

(2012.1.19 02:27 MSN 産経ニュースより)

 

[映画「天心」に関するその他のニュース]

http://www.google.co.jp/cse?cx=partner-pub-8058362109886920%3A4168647051&ie=UTF-8&q=%E5%A4%A9%E5%BF%83&sa=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&siteurl=ibarakinews.jp%2Fnews%2Findex.php#gsc.tab=0&gsc.q=%E5%A4%A9%E5%BF%83&gsc.page=1

 

[映画「天心」と石井竜也さんに関する記事のある外部blog]

(「天心」についてご記載いただき、ありがとうございます)

石盛 ~I・SHI・MO・RI~

http://ameblo.jp/tatuya922stone/entry-11129893459.html

BLACK ROSE & RED ROSE

http://ameblo.jp/merry-beauty/entry-10999174904.html

SOBASUTA(今回の缶バッジをデザインしてくれた傍嶋賢さんのblogです)

http://sobasuta.blog137.fc2.com/

渡辺さんと

(松村:後列一番左)

1月14日(土)水戸エクセルホールでの渡辺裕之さんの講演会に、飛び入り的に参加。

渡辺さんはじめ関係者の皆さまのご厚意で、「天心」の紹介&あいさつさせていただきました。当日は定員250名を上回る約300人が押し掛け、満員札止め。たくさんの人たちの前で映画への協賛の呼びかけができました。渡辺さんに感謝、深謝です!講演は茨城を元気づける素晴らしき内容で、最後の全員「ファイト!」の大合唱に勇気づけられた人もたくさんいたと思います。水戸に市電があった話なども興味深く、物好きな私は渡辺さんが推薦したお店「伊勢屋」に講演後、さっそくラーメンと名物ののり巻きといなり寿司を食べに行ってしまいました(笑)美人の女子店員さんと昭和な雰囲気に感動。ぜひ、他の映画での撮影でも使いたい場所です

(松村克弥)

賀詞交歓会にて

みなさんこんにちは、映画「天心」事務局のマエPです。寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

一昨日の朝などは寒すぎて車のエンジンがかからなくなり、監督との待ち合わせに遅刻しそうになりました。(どんだけ車が古いの?って感じですが・・・)

実は昨年より、映画制作費を集めるために松村監督と茨城県内を回って協賛金のお願いをしていまして、今年も年明けからいくつかの賀詞交歓会にお邪魔しては「天心」の宣伝プラス協賛金のお願いをしています。

先日も「明日の茨城づくり新春の集い」という会に出席させていただいたのですが、いや~予想以上に沢山の人がいてビックリでした。知事さんをはじめ県内の全市町村長や県議会・国会議員の方々、茨城を代表する企業の経営者や各種団体の幹部の方々がずらり。

監督と「すごいねー」なんて言いながらオードブルなんぞを頂いていたら、前県議会議長さんと知事さんが僕らにおいでおいでしておられるので行ってみると「監督、時間をあげるから皆さんの前で映画の話をしてらっしゃい」とありがたいお言葉。

「え~、こんな沢山の人を前にして話すの~」と突然の展開に少々緊張気味の松村監督でしたが、壇上に上がって話し始めると会場の皆さん(700~800人は居ましたよ)全員が耳を傾けて下さって最後には拍手喝采。その後も多くの方からお声掛けいただき「絶対にいい映画をつくってよ!」と励まされました。

やはり震災後の茨城を盛り立てたいと願う皆さんの「天心」への期待は大きいんだなあと実感いたしました。

天心六角堂プロジェクト録音

1月10日、東京渋谷のスタジオにて六角堂再建記録映像「天心六角堂プロジェクト」(前編)の録音がありました。
茨城大学の三輪特命教授、斎藤課長、小沢さんらプロジェクト責任者が立会いました。
松村監督の手腕により、掛け値なしに素晴らしい作品が出来上がりました。
録音終了後、ナレーションを担当した津久井裕子さんと監督のツーショット。
みなさん、本当にお疲れ様でした。

取手市賀詞交換会

1月6日、昨年に続き取手市で行われた賀詞交換会で映画「天心」の宣伝をいたしました。

会場ではポスターと川又南岳先生揮毫のノボリの展示の他、映画「天心」の予告編も上映。

そして、壇上では松村克弥監督のあいさつもあり、ご協力いただいた取手市と関係者の皆様方にはただただ感謝、感謝です!

映画 天心

松村克弥監督あいさつ